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想い出のスケーター(空前の大逆転 イレーヌ・ザヤック) [フィギュアスケート]

1982年ビールマンが引退した翌年にコペンハーゲンで開かれた世界選手権は空前絶後の
大逆転が起きた年です。
またまたのルール改正でコンパルソリのウェイトが0.4、SPが0.6、フリーが1.0
と改正され、コンパルソリが得意な東欧やソ連勢が不利になっていく時代でした。
さて、アメリカのフラチアニ引退後、前年ビールマンに次いで2位となってエースとして
出場したイレーヌ・ザヤックはSP終了時点で7位となり、フリーは第2グループからの
出場となって、半ばメダルからは見放された位置にいました。
ところがフリーを終えて高得点をマークして順位点(席次数から変わった)でトップに
ザヤックが立つと最終グループの誰も彼女を上回ることができず、最終滑走者(おそらく
カタリナ・ビット)の得点が出た瞬間、ザヤックの金メダルとなりました。
彼女は右足の指が事故のためなく、小石を入れてサイズを合わせての競技でしたが、
それよりもブロンドに青い目がバッチリで見るだけでクラッと来たものです。
アメリカって凄い国だと(どういうこっちゃ)当時高校生だった私は思ったものです。
彼女は84年まで競技を続け、サラエボ五輪にも出場しましたが、84年の世界選手権
での2位が最高で引退しました。
次回は・・・80年代の男子スケーターのオムニバス形式にしたいと思います。
実はここで少し時代が飛ぶかもしれません。伊藤みどりさんは変わった視点で書こうと
思いますし、八木沼さんも書きたい。いつまでシリーズが続くかわかりませんが、
記憶をたどりながら書いて行こうと思っています。


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知ったかぶり子

実はニューヨーク在住なのですが、ザヤックはThe Skating Club of New Yorkの役員でもあるので結構見かけます。今となっては昔の面影も無く、ただの太ったオバサンです・・・

ちなみに、84年の世界選手権では三位でした(コンパル9位、ショート五位、フリー二位)。二位はソビエトのコンドラショーワ選手でしたね。
by 知ったかぶり子 (2006-09-30 06:58) 

えっくす

コメントありがとうございます。
あれから20年以上ですからね。あこがれの人も太ったオバサンに
なってしまいますね。
今でもザヤックルールに名前を残すとは、本人にも不本意なんでしょうか?
by えっくす (2006-10-01 21:44) 

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