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明治法政オンアイス2024観戦記 春のなごり [フィギュアスケート]

あれから1年
あっという間のようですごく長い時間だった気もする。
今年もこの季節がやってきた
卒業、そして引退の季節

誰かの心の拠り所になりたいと旅立った君
君が滑る姿は、私の心の拠り所だった・・・

風薫る花より花よりもなお我はまた春のなごりをいかにとやせん

思い出と幸せは、この氷上にある。
かつてラベンダーの咲いた庭にまた・・・

今年も明治法政オンアイスに参戦してきました。
昨年はわちゃわちゃ感満載ながらいいもの魅せていただいたので、今年は法政大学のL.U募金に出資して指定席で見せていただきました。
学生の活動もしっかり支援していきたい。
3口も考えましたが、御礼の品の法政大学のパーカーをOBでもない私が着用して外を歩くわけにもいかないので1口で。

当日、都内は冷たい雨
氷上世界最強の雨男見参ですから仕方ないですね。

オープニングは、なんと唐突な始まり方で、今年もわちゃわちゃオンアイスは健在。
今日はレベルもGOEも回転不足もない。
そして、私の脳内TESカウンターも始動しない。
純粋に楽しめた。

卒業生のプログラムを見ると、幾多の思い出がよみがえる。
みんなそれぞれの道。

平金桐さんが現役続行を発表したのはうれしかった。
彼女が東京ブロックジュニアを連覇したときには、東京の、そして東日本の未来に希望を持った。
しかし、そこからが試練の連続だった。

大けがをしないで卒業まで滑り続けてくれることがどれだけのことか、それがどれだけ幸せなことか、身にしみた1年だった。

最後までわちゃわちゃ感は楽しかった。
ちょっとだけ悔しかったけど・・・
同じ空間にいることができた。

来年もきっと。。。

運営のみなさん、出場された皆さん、お疲れ様でした。

そして、ありがとう・・・

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東京ブロック2023観戦記 [フィギュアスケート]

4年ぶりやっと現地へ行くことができた東京ブロック・・・
ラベンダーの咲いた庭に、もう君はいない・・・

 本来ならば、夏休みだった私は、稚内へ飛び、父の生まれた樺太を見て、宗谷丘陵の白い道をドライブ、札幌へ移動して思い出の札幌パークホテルに宿泊して、小樽でルタオサンデー?スフレ?海鮮丼からの、東京へ飛んで東京ブロック参戦の予定でした。
 突然の母の入院で断念して、ブロック参戦も断念しかけましたが、1日だけなら行けると思い、朝一の新幹線で東京へ向かい、夜行バスで帰宅するスケジュールで参戦しました。

4年ぶりの有観客
せめてもう1年早くと思わずにはいられなかった。
東伏見に到着すると大行列。
4年ぶりの熱量を感じずにはいられなかった。

ここで巡り会えて、試合後に歩いていた場所、最初で最後にお話できたところ、そしてお別れした場所を巡り、もう本当にいないんだなと少し涙が・・・

試合は始まる。
ここは幾多の思い出が刻まれた場所。
推しがいなくても、楽しい試合。
でも、もう一度見たかった。。。
一度では満足できなかったかも。
失った時間は帰ってこない。
命とは時間なのだ。

さすがに12時間の長丁場は疲れましたが、やっと現地です。
推しはいない。もう最後の推しスケーターでよいと思っている。
試合だけはこれからも可能な限り見に行く。

私は、10年にひとりしか逸材を見つけられないらしい。
最初は1977年
二人目は1997年
三人目は2007年
そして、最後は2017年
それぞれの逸材は、並び立つ者
逸材は全て東京ブロックだった。

楽しい試合でした。
来年もまたきっと・・・


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松下紗千選手 引退、そして卒業によせて 最終章 私はあなたの進む道を応援します [フィギュアスケート]

この記事で最後にしたい。(ご本人様見てないよね?見られて困ることは書いていませんが。。。)
紗千さんを応援して過ぎた6シーズン
パンデミックさえなければと思うことも多い。滑る選手にとっても失われた3年間。

東日本の配信でうれしかったことがある。
キスクラで紗千さんの得点が出て「現在の順位は第1位です」。2、3人くらいだったけど、Current Rankだったけど、リザルトボードの一番上に表示されるのを見ることができた。
転倒もなく、後輩のために出場枠を残した。最後のコンビネーションのサードループの時の表情は素敵でした。紗千さん、立派なものです。

彼女のジャンプについて考察しておきたい。
種類という点では不利。しかしながら、サルコーの軌道の正確さと上半身のブレの少なさ、ダブルアクセルの回転の鋭さというか、プレローテーションがなく、回転がしっかりかかっているところなどは、下手な全日本クラス以上のものを持っている。
しかも、手の動きに無駄がなく美しい。IJSで評価されにくい部分で秀逸なフィギュアスケーターと言える。高難度ジャンプはなくても、美しい世界観を持っている。

東日本の後は、国体予選を無事に4位で通過して、1月末の八戸国体へ進むこととなった。
八戸なら玄関から1時間半でいける。
有観客開催となることに備えて半年前に土日で現地の宿泊を押さえていたが、成年女子の日程は月曜日と火曜日。しかも、兵庫県は現役世界女王が参戦するとかえげつない。
さすがに2日間は無理なので1日しか参戦できない。
迷った末にショートプログラムに参戦することにした。
いつも通り朝のエールを送り、八戸へ向かう。
会場に入るとリンクの氷面に少しの違和感を感じていたが、試合は始まる。
紗千さんは9番滑走。滑りの美しさはいつもどおり。3Sの回転が足りない。2Aも少しつまづいた感じ。
スコアは、フリー進出が危ぶまれる数字。最後の試合でこれは・・・
そのときの私はといえば、試合が進むにつれてだれか2人グダグダにならないかなと思ってしまった。
誰かのミスを願うなんて最低の奴になっていた。
かつて、何があっても最後まで見届ける、どんな結果もしっかり受け入れる、とスケートの神様に誓ったはずの私が最低の奴になってしまっていた。
結果は1点もない差でショートプログラムを通過できなかった。
そこで泣きたかった。
お疲れ様とメッセージを送った。3年以上待ち望んだ現地でショートプログラムを見ることができたことは幸せだった。
少しだけ会いたいと送りたかった。でも、最後の試合でショート通過できなかった気持ちを考えるとそんなことは言えなかった。しかも私は最低・・・
帰宅してから泣いた・・・フリーを滑らせてあげたかった・・・泣いても仕方ないのに泣いた・・・
そして私の心にはポッカリと大きな穴が空いたようだった。

最後の試合は、その翌週に新横浜で開催される関東インカレとなると知らせてくれた。
最後のエールを送って、ショートだけの大会だが、彼女は3位表彰台にあがった。写真だけだけど、最後の試合で表彰台はうれしかった

そして、その日は明治法政オンアイスのエントリー。
年初に出演することは聞いていたが、スケジュール的に無理と思っていた。
でも、時間になったら、何かに導かれるようにエントリーして整理番号も届いていた。
最後の滑りを見届けにいこう。殺人スケジュールもなんとかする。お会いすることは無理としても現地へ行こう。
プレボがあるので小さな贈り物、やはりお手紙も。
手で手紙を書くなんて何年ぶりだろうか。糸へんを必死に練習してから書いたけど、下手な字と拙い文章。夜中に書いた手紙は恥ずかしい。気持ちの欠片だけでも通じたならそれでいい。
贈り物のぺーパーバッグは、あの日咲いたラベンダーにちなみラベンダー柄。
気づいてくれたかは未知数。

そして私は、なんとか万難排してラベンダーの咲いた庭に降り立った。
明治法政オンアイス(通称 わちゃわちゃオンアイス。私にとってへMHOIではなくMSOIだった。)では今期のフリースケーティング”Without You”を魅せてくれた。
配信でみた印象より遙かなスケール感と美しさ、せつなさを感じた。やはり背中が大きく見える(太ったとかじゃない)。
コリオシークエンスの長いイナバウアーでかざした手の向こう側には何があったのか、「せつなさ」という日本語では表せない切ない雫でリンクの全てを埋め尽くしていく。そのせつなさの向こうには何が見えているのか。
私の気持ちは
I don`t want to see the ice without you.
前の記事で書いたとおり、スタンドの上から少しだけ言葉を交わせた。

これでもうお会いすることはないかもしれない。現地へ行けない3年の月日の中で紗千さんは私の中で(勝手にだけど)大きくなっていた。これが世に言う推しロスという状態か。こんなことなかった今まで。ご本人には申し訳無いが、私には「やりきった」感がなかった。失われた3年間は重かった。
最後まで試合に出て、幸せな引退エキシを披露して、無事に卒業、引退の夢が叶ったのに辛すぎる。

でも後ろ髪を引いちゃいけないと自分を追い詰め始めた。
氷上にいる彼女をもっと、ずっと見ていたかった・・・その気持ちだけは本当だった。

卒業式の日、都内は冷たい雨。
冷たい雨は、きっとつらい思い出、悲しい思い出を流し去って、大切な思い出だけを残す雨と信じたかった。こんな時代を生きたからこそ見える景色はきっとあると信じたい。
私は、世界選手権の会場近くのファミレスで観戦仲間と早めのランチタイムをしながら、配信されている卒業式を見守った。

その日の夕方、世界選手権の会場からアイスダンスと男子シングルの間の休憩時間ににお祝いのメッセージを送った。気分はどうあれ、世界選手権のテンションだけは高い場所で余計なこと書いたかも知れないけど、伝えないで後悔しないように、そして節度は保ったつもりだけど・・・うるさい人でごめんね・・・
返信は男子シングル最終グループの6練のときに見た。
その文字にはやさしさがあふれていた・・・
夢の6シーズンが終わった。。。

プロスケーターへの憧れはあったと聞く。
実際、その素養はあったと思う。
ショースケーターになってくれたら・・・とずっと思っていたが叶わなかった。

ただ彼女が進路を決める時期は、パンデミックも終息の気配を見せず、エンタメは壊滅状態だったはず。
プロスケーターの受け皿は非常に小さい。心の内はわからないが現実的な選択をしてくれた思う。
元気で幸せならそれでいい。でも受け皿があったら・・・私が18年前からこの国に託す夢「プロスケーターがスケートで生きて行ける国」はまだまだ遠い夢。

紗千さんにあなたの後輩から新しい才能を見つけるって強がってみたけど、才能はある日突然雷に打たれたように出現するもの。気がついたら引きずり込まれているもの。簡単なことではない。
紗千さんのような10年にひとりの逸材となるとどうなるやら。
仮に新しい才能を見つけても、代わりじゃなくそれぞれが並び立つ存在、そしてそれぞれが大切な思い出。
松下紗千さんという10年にひとりの才能を見つけて、応援して過ぎた6シーズンは幕を閉じた。
たくさんの幸せをありがとう・・・

紗千さんへ(読んでいないと思うけど・・・)

あらためてご卒業、ご就職おめでとうございます。
最後まで試合に出場し続けて、無事に卒業してくれるという、私が密かに託した夢を叶えてくれました。本当にありがとうございました。
でも、もっと、ずっとずっとあなたの滑る姿を見ていたかった・・・けど

私は、あなたの進む道を応援しています。

こんな私に優しく丁寧な応対してくれてありがとうございました。
うるさいと思ったこともあったと思います。
引退したらどこへ行こうが関係無いのに寂しいなんて言ってしまって、心からお詫びします。

あなたに氷上からいただいた幸せは本当に大切な思い出です。
氷上のあなたは美しく、力強く、あふれる思いとせつなさで私の琴線を揺らしてくれました。
いつもたくさんの幸せをいただきました。

これから進む道、どんな道か知らないけれど、恐らく平坦なことばかりではないと思います。
たとえ、道に迷っても心のままに歩いていってほしい。
もしも夢の途中で迷ったときにも、自分で出した答えはどんな答えも間違いじゃないと自分を信じて進んでください。
そして、のちに見据える夢があるなら、最後まで諦めずに進んでほしい。
私は、「松下紗千」さんというフィギュアスケーターに出会えて幸せです。

幸せをありがとう。どこへ行っても元気で幸せならそれでいい。
いつか、どこかでまたお会いすることを楽しみにしています。
その日を信じて、私もしっかり生きて行きます。
本当にありがとう。
元気でね。
またね・・・

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松下紗千選手 引退、そして卒業によせて その6 遠い夢 [フィギュアスケート]

2022-2023シーズンが幕を開けた。

紗千さんは、ショートプログラムをAmy WinehouseのBack to Black、フリースケーティングをUrsine Vulpine & AnnacaのWithout Youに。
パンデミックは終息しない。当面見ることは叶わなかった。
ブロック大会の日程が発表され、宿泊を手配して、日程を空けて有観客開催となることを祈る日々。
夏が来て、飯塚杯に出場した彼女は「ここに来るのも最後なので・・・」とSNSに綴った。
引退、卒業が大きな現実としてやってきた。
最後の東京ブロック、東日本へ進出し、叶うことなら全日本。。。
夢は膨らんだ。
どうしても現地で見たい。開催が近くなって、またもや無観客開催が告知された。。。3年は重すぎる時間だった。
もう現地で見ることは叶わないのか・・・泣いた・・・泣いても失われた時間は帰ってこないことはわかっていたけど泣いた・・・

紗千さんにメッセージで配信で応援していますと送った。
彼女からの返信は体調を崩していたとのことだった。なんとかブロックには間に合うとのことで少しの安心。でもリザルトでWDが付いていたら。。。当日、恐る恐るリザルトページをあけるとWDはない。
いつものエールを送った。

ショートプログラムの”Back to Black”。今までにない曲調でも滑りの美しさは変わらない。
それにかっこいいというか、それだけではくくれない。時折見せるメヂカラが強烈。この振り付けはまさかローリー?佐藤紀子先生の振り付けだった。
後に聞くと、今期はイメージチェンジを狙ったとのことだが、それが曲のUnderLinerに流れる妖艶な空気とするなら、私が最初に見つけた17歳のときに既にあどけない笑顔の奥に妖艶さは備わっていたと思う。魅せられた者を引きずりこんで離さない、それどころか心をつかまれて引きずり回されそうな妖艶さは既に持ち合わせていた。
一方、ボーカルのLyricsを聞くと、別れたというか亡くなった恋人へのRegretか。日本語では解釈が難しいLyricsだった。
Regret・・・・青春に悔いはないと語る者は今も多い。しかし、アスリートであろうとなかろうと、青春なんて悔いだらけ。タラレバを持たずに大人になる者はいない。
私のRegetは・・・言うまい。

フリーの”Without You”は曲調こそBack to Blackより明るく穏やかに感じるが、Lyricsを聞くと日本語では言い表せない切なさ。英語に切なさという単語はないのだが「あなたなしでは世界を回せない、あなたのいない世界で太陽を燃やしたくない・・・」と日本語では表現できないLyricsがショートよりも深い闇に満ちているようなものを感じた。
切なさなら、彼女の滑りは最初から切なさに満ちていた。1800㎡のリンク一杯の切なさを感じることはこれまでもいつものことだった。紗千さん自身はどんな思いが詰まっていたのか。
このプログラムの振付は星野有衣子さん。
英語は堪能な人だったはず。
星野先生はこの曲をどう解釈しているのか、聞いてみたいものだ。

私は彼女が7本目のジャンプを跳ぶときの表情が好きだった。
一番苦しいときに跳ぶジャンプ。このときに魅せる笑顔が好きだった。
昨シーズンまでと何かが違う。背中が大きく見える。もちろん太ったとかじゃない。リンクを降りれば小さな背中だった。元々リンクに立つと大きく見えるが、背中の大きさが今期は際立っている。
それが後輩に見せる背中なのか何なのか、私にはわからないままだった。
フリーを終えてキスクラに座る彼女は泣いていた。「もう悔いはありません・・・」なんて、得点出る前に引退会見するんじゃない。
私の脳内IJSでは通過できるはず。
得点が出て、東日本へ駒を進めることが決まった。
「2週間でよくがんばりました」佐野先生相変わらずです。ありがとうございました。
1977年東京での世界選手権、佐野さんからはトリプルルッツというジャンプの名前を(テレビでだけど)教えられた。プロ転向した何年か後にはキャサリンさんとペアスケーティングをテレビの特番で披露した。私もキャサリンさんとあんな風に滑れたらと子供心に思ったことがある。

紗千さんは6歳からフィギュアスケートを始めて、拠点もコーチも変えずにやり通した。彼女の力量のひとつでもあろう。
支えてくれたご家族、スタッフ、一緒に戦ったお仲間、応援してくれた人、その全てが彼女の力量である。私の応援は爪楊枝1本ほどでしかない。

東日本から全日本への出場枠は今期も少ない。女子シングルの優勝者も2005年を最後に西日本でたらい回しになっていた。
出場枠とBVから客観的に考えれば、全日本への道は厳しすぎる現実だった。

実際、東日本選手権に出場するだけで、女子シングルの人口を考えれば指の先ほどしかいない天才、全日本に出場するの爪の先ほど。テレビでトップスケーターしか知らない人には地上波で流れる選手は針の先ほど。

ブロックの2日後、紗千さんのSNSで「(地名)次は半年後」と投稿があった。
今の時期なら内定式のはず。
紗千さん、遠くに就職しちゃうんだ・・・
私は寂しさに見舞われた。もちろん、引退して一般人になってしまえばもう私は応援さえできない。
どこへ行こうが私は関係のない人でしかない。東京でもどこでも変わりはない。
でも私はそんな寂しさを抱えてしまって、東日本が近づいてきた。

東日本の前のメッセージでは調子も上がっているとのこと。
朝はいつものエールを送り、配信を見た。
(つづく)

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松下紗千選手 引退、そして卒業によせて その5 幸せはどこへ逃げた? [フィギュアスケート]

今日ある幸せは明日もあるとは限りません・・・

2019東京ブロックで紗千さんと握手したあと、夢見心地で宿泊先に帰った。
腰も小指も痛くない。脳内麻薬というのは恐ろしい(笑)。

2019年全日本は代々木開催
東京での全日本に出てほしかったが叶わぬ夢だった。
もちろん全日本でコールされる姿を見るのは彼女にも伝えた夢だった。
でも、私は、卒業まで消えないで無事に滑ってくれさえすればよかった。
ずっとずっと滑る姿を見ていたいけど、それはもっと叶わぬ夢だった。
卒業、引退の日が来ることはわかっていた・・・はず。

その後も地方大会に出るときでも、応援のメッセージをできる限り送り続けた。
私は、紗千さんの特別な人でもないし、たくさんいるファンの一人でしかない。
メッセージをやりとりできてもプライベートに関わることは聞かなかった。
質問もほぼしなかった。応援とスケートの話を少しするだけ。
丁寧な言葉でメッセージをくれて、その頃には文面から今の状態が読み取れるようだった。
やさしいメッセージは、ほんわかして見えた。

2020年1月、知ってのとおり新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい始めた。
緊急事態、エンタメは壊滅、リンクも閉鎖
回復の兆しもなく夏を迎えた。
ブロック大会の日程は決まっていたが、連盟は全日本ノービスまでの大会を無観客開催と発表した。
各ブロック大会、東日本はネット配信で見ることができたが、やはり現地で見たい。
その年、紗千さんは東日本に進出した。
結果は・・・まあいい。全日本は遠い。
来年こその思いは強かった。まだ卒業まで2年ある・・・
インカレも国体も無観客。
でも、試合のたびにメッセージを送り続けた。
来年こそ現地で見たい。
しかし、その日も来なかった。
2021年のシーズンも無観客開催。
東日本進出はできなかった。
配信で見たけど、卒業まであと1シーズンになってしまった。
そうそう、代々木で開催されたNHK杯でドア係で紗千さんが地上波デビュー。
マスクしてるから最初は気がつかなかったけど、なんかうれしいな。無事でいてくれて。

紗千さんからのメッセージでもラストシーズンがんばりますって。
ラストシーズンの言葉に震えが止まらなかった。
この頃には2年も現地に行けなかったこともあって紗千さんは私の中で大きくなりすぎていた。
ただただ滑る姿をもっとずっと見ていたいだけだった。
それさえも叶わなくなる恐怖に震えた。
(つづく)
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松下紗千選手 引退、そして卒業によせて その4 夢のシーズン [フィギュアスケート]

2019-20シーズンがやってきた。
PIW横浜に参戦し、利府でのファンタジーオンアイスに参戦して、順調なシーズンを送っていた。

紗千さんは、地方大会にエントリーを続けて、消えていないと安堵することが何度もあって、SNSでは試合後にお仲間と撮影したお写真を上げてくれていた。

8月だったと思う。福岡県で開催される飯塚杯にエントリーしていることを知った。
見に行きたい・・・でも都合がつかない。
博多に住んでいる元同僚(女性)に代わりに応援に行ってくれないかとお願いしてみた。
フィギュアスケート初参戦の彼女は時間もあるのでということで快く引き受けてくれた。
名前を知ってる選手いないと思うけど、日本大学の松下紗千さんっていうとっても素敵な滑りをする選手がいるから、そっとでいいから応援に行って欲しいと。
博多にいる同僚には、昔救われたことがあった。
また助けてもらったと思っている。

その日、元同僚からメールが送られてきた。
紗千さんとのツーショット・・・私より先に撮るか・・・ラ・ラ・ランド衣装のシングルショットも送ってくれた。

そこで私は、まさか滑る前とかにお願いしたんじゃないかと心配になり、思い切って紗千さんにメッセージを送った。
「私の友人が厚かましいお願いをしたようで申し訳ありません。初めてフィギュアを見た人なのでご容赦ください。」だったかな。
紗千さんからのレスは「えっくすさんのお友達だったんですか。声かけられてうれしかったですよ。」
優しい人だと思った。

それからは、エントリーしている試合の日の朝に一言エールのメッセージを送り続けた。
そして9月東京ブロック参戦のため、私はかつてラベンダーの咲いた東伏見に降り立った。
出かける日の朝には腰痛に襲われ、コルセットを巻いて出かけた。ホテルの部屋で足の小指を椅子の脚に2回ぶつけて腫れ上がった。
でも、ショートプログラムの日は紗千さんのお誕生日だった。
会えるかどうかわからないけど、小さな贈り物を持って出かけた。

ショートプログラム、スピンがほどけてヒヤリ。滑りは美しかった。幸せな時間が終わって、ジュニア男子があったけど、腰の痛みもあるしホテルへ帰ろうと思い、通路を行くと、シニア女子の皆さんがバックヤードから階段を上がってくるのが見えた。
紗千さんを見つけて、腰の痛みも忘れて追いかけた。
普段は明日もフリーがあるのにって遠慮するところなんだけど、引き込まれるように追いかけていた。
ある程度距離を詰めて「松下さん」って呼んだら気づいてくれて、少しお話できて贈り物もお渡しできた。私にしては大胆なことに握手を求めた。魔法の右手はやわらかかった。
「またお会いしましょう」「はい」って。
それっきりになった。メッセージは送れるけど、お話できたのはそれっきりになった・・・
翌日のフリースケーティング、赤いラ・ラ・ランド衣装で滑った。
東日本には進出できなかった。
次回も応援にきっと来る。と思いながら帰途についた。
(つづく)

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松下紗千選手 引退、そして卒業によせて その3 指先から流れ出る星、流れ去る時 [フィギュアスケート]

2017-2018シーズンは、オリンピックシーズン
羽生結弦連覇に暗雲が差したGPシリーズを横に見ながら、仙台に帰宅した私は、過去の東京ブロックのパンフレットを取り出して「松下紗千」さんという右手の魔法に魅せられてしまった選手を探してみた。

え?ノービスから東京で出場してるのに、なぜこれまで気がつかなかったのか?
もっと早くと思ったが、今見つけたことを幸運だったと思わなければならない。
港区御成門小学校?なんと固定資産税の高い(笑)
プロフィール写真はおかっぱ頭(今でもそういうの?)の可愛い紗千さんが素敵な笑顔で写っていた。

そして、東日本選手権がやってきた。
開催地は山梨の小瀬
都合がつかず現地へ行けなかったが、ショートプログラムの朝、エントリーを見て「出場してくれる」とうれしくなった。
残念ながら、全日本への切符は遠かった。
でも、リザルトを見て、滑りは想像できた。気持ちがほんわかする感覚を覚えていた。
その頃、彼女のSNSにちょこちょこコメントするようになっていた。
もちろん、応援する気持ちを綴った。誰かわからないのに、丁寧なレスをくれた彼女をこれからも応援しようと思った。

その後も地方大会のエントリーを見ては出場してくれる、リザルトを見ては滑ってくれたと胸をなで下ろしている自分がいた。

平昌オリンピックの羽生結弦連覇大フィーバー(これも死語か)を経て、2018年3月末にベルサンピア宮城で開催される北日本選手権に紗千さんが出場するとのことで観戦に行くつもりで計画していた。
そこへ、東京の知人から北日本選手権のショートの日に今井遥さんの引退祝賀ファンミーティングを都内で開催することを知らされた。
迷った。。。ショートプログラム「ラベンダーの咲く庭で」は私が琴線を破壊された大切なプログラム。
もう一度見たいが、遥さんも2007年全日本ジュニアで見つけた指先から花びらが湧き出る指先に魅せられた選手だった。
遥さんはインストラクターの道に進むことは知っていたので、どこかのキスクラでいずれお会いすることはできる。でも、こんな機会もないと思って土曜日は都内で参加することにした。
日帰りして、翌朝は北日本選手権に向かった。
シニア女子は最後のカテゴリー。恐ろしく寒い会場で観戦だった。休憩で外に出た時に紗千さんを見かけた。
話しかけたかったが、試合前に声なんて掛けられない。「がんばってね。応援してるよ・・・」って気持ちをこっそり送って会場内に入った。」

紗千さんがリンクインする。ポカホンタス衣装は美しかった。
またしても、私は琴線を揺さぶられ、右手の魔法に没入感さえ覚えた。
彼女の滑りを見ていると幸せを感じるようになっていた。4分間はあっという間。星が流れる右手の指先を追いかけているうちに終わってしまった。あの日のポカホンタスを忘れない。滑りも右手もひたすらに美しかった。
仙台(リンクは市内ではないけど)に来てくれてありがとう。おいしいもの食べる時間もなかったと思うけど、いずれゆっくりと(そんなことなかったと思うけど)おいしいもの食べに来て欲しいと思って、リンクを後にした。

2018-19シーズンが幕を開けた。
ブロック大会の日程が発表されると、宿泊先を押さえた。
紗千さんがもし消えていたら・・・いつもその恐怖に怯え続けた。いずれにしても東京ブロックには参戦するつもりだけど、かける思いは相当の違いがあったと思う。
往復の新幹線も早めに予約し、その日に備えた。
エントリーが発表され、名前を見つけるとほっと一息、そしてショートプログラム当日の朝にスターティングリストを見返して、WDが付いていないと仕事の疲れも吹っ飛んでいざ東伏見へ

紗千さんはこの時、高校3年生。得点はどうあれ、美しい滑りは健在。
フリーは第3グループだったので整氷時間の終わりに待期ゾーンに出てきた紗千さんをスタンドの上から見つめた。結構明るい性格してるみたいです。
お話してみたいと思ったけど、タイミングも悪くお会いできなかった。

その後は、インターハイに出場したり、国体に出たりで元気に滑ってくれてると思うとうれしかった。
国体には茨城県から出場していた。茨城県とのご縁は何だったのか、ふるさとエントリーは中学校が該当県とかじゃなかったかな。それはとうとう聞けなかった。

高校を卒業したことがSNSで告知された。
進学してくれるよね。。。できれば都内。東京以外のブロック大会参戦はなかなか難しいものがある。
そして、翌月には日本大学に進学したことを知った。
また応援に行ける。うれしい思いとあと4年で卒業、順調でもそこで引退ということになる。
あと4回、無事に滑ってほしい。少なくともブロック大会は応援に行けるから・・と、このときは疑わなかった。
その日を楽しみに生きていけると思っていた。
(つづく)

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松下紗千選手 引退、そして卒業によせて その2 得点よりも尊いもの [フィギュアスケート]

2017年東京ブロック大会
最終日シニア女子フリースケーティング
紗千さんは15番滑走(だったはず。以降滑走順と順位は記憶による。)

その日は終わったら仙台まで帰宅しなければならない。
最終滑走はいつもヒヤヒヤ。
第3グループなら落ち着いて見ることができる。

ところが6練から落ち着いて見せてはくれなかった。
ジャンプははっきり言って危なっかしかった。
しかし、エッジワークは美しかった。右手は前日より迫力を増した。

この日のフリーはディズニー映画「ポカホンタス」
比較的重く見える色の衣装ではあるが、上半身のダイナミックな動きでそれを感じさせない滑り、右手だけじゃない指先まで行き届いたというのは簡単だが、腕から先に関節がいくつあるのか不思議なくらいの繊細な所作にすっかり見惚れてしまった。
高難度ジャンプだけじゃない。得点はどうでもいい、それだけじゃない世界がフィギュアスケートにはあってもいいじゃないか。
彼女が広大なリンクに作り出す世界に、フリーが終わる頃には琴線はガンガン揺らされて崩壊寸前、ディレイドスタオベしたかったが動けなくなっていた。
今のままなら当時の東日本からの出場枠を考えれば難しいが、全日本でコールされる姿を見たいと思った。
でも、それよりも、この美しい右手をもっとずっと見ていたい。
ある日突然、エントリーから消えてしまう選手は多い世界。
大学へ進学して、卒業まで消えないで滑り続けて欲しいと願わずにはいられなかった。
私はまだ、卒業、そして引退のそのときが来たらその重さに押しつぶされそうになるとは思いもしなかった。
結局、彼女は綜合9位で東京ブロックを通過して東日本へと進むこととなった。

シニア女子が終わって帰ろうとしたら、スタンドの外周で紗千さんがノービスくらいの子かな?ポカホンタス衣装のまま、お話しているのが見えた。
え?この子リンクであんなに大きく見えたのに、こんな小柄で華奢なの?リンクで大きく見えるのはすごい才能。その時、私のすぐ前を歩いていた彼女に声をかけたかったが、なんとなくうまく話せないような気がして、リンクで見たよりずっと小さな背中に「素敵な滑りをありがとう。これから応援します。消えないでね」と心の中で語りかけた。
(つづく)
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松下紗千選手 引退、そして卒業によせて その1 衝撃的な出会い [フィギュアスケート]

以下の内容は全て私自身の感想(妄想含む)であり、対象者本人とは何の関係もないことをお断りしておきます。

世界選手権を現地で3日間観戦して、シーズンも一区切り。
私は、4度目の競技観戦引退。

世界選手権で気がついたことがある
どんなに高難度ジャンプを降りられても、高得点を出そうと、見た目が美しくても、手と指先が雑な選手は好きにならない

あの日、「ラベンダーの咲く庭で」見つけた才能
所作の美しすぎる右手に魅せられた
あの日見た右手は引退する最後の最後まで美しかった
そして、滑りそのものも美しかった
高難度ジャンプを跳べるわけでもない、得点も結果的には高得点を出すことはなかった。
でも、私の琴線は揺れに揺れた。

針の先ほどの超一線級のフィギュアスケーターを除けば、大学卒業をもって競技から引退し、それぞれの道を歩み始める。プロスケーター、インストラクターになる人も多少いるが、一般企業に就職する人が多い。
彼女を見つけた時から、卒業の二文字はちらついていた。
いずれ卒業して引退する日はくる。誰にでも引退の日は来るが、大学卒業で引退する日はわかっていた。
それでも、応援せずにはいられないフィギュアスケーターを見つけてしまった。

2017年の秋
私は2007年に明治神宮外苑リンクで開催された東京ブロックに初参戦し、その後、西東京市のダイドードリンコアイスアリーナに舞台を移して開催されていた同大会に毎年参戦していた。
それまでも、ワールドクラス、GPクラス、全日本クラスの選手を応援していたが、この日、シニア女子ショートプログラムで雷に打たれる、脳天から突き抜ける、なんと形容していいかわからない衝撃を受けた。
第一印象は「この子、(今井)遥ちゃんっぽい」だった。
しかし、右手の所作の美しさ、指先から星が流れ出るように見えた。
上半身の使い方が上手で美しい。その点では遥ちゃん以上で2分後にはすっかり魅せられていた。
得点は平凡だったが、得点に表れない世界を魅せてくれるブロック参戦10年目の逸材だった。

彼女の名は、松下紗千さん
当時、新渡戸文化高校の2年生
その学校どこ?でしたが、後に昔の東京文化とわかった。
整氷時間にパンフレットを見てみた。
え?プロフィール写真はずいぶん印象が違う。
実物の方がいい・・・(怒られる?)
その日はシニア女子を見て、上位はいつものとおり違う世界だった。
翌日のフリーが楽しみになった。
(つづく)


(この日に参戦した不思議)


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明治法政オンアイス2023観戦記 その3 Eternal Memory [フィギュアスケート]

春一番が吹いたとか・・・
春は桜を咲かせるためにくるのか
桜を散らせるためにくるのか
答えは出ずに幾星霜
花は散るから美しいと言われるが、指先から星が流れ出る君はこの日咲いた大輪の花
記憶に残り続ける限り花は散ることはない

この日、全日本でコールされる晴れ姿を見るという夢を託した自分を恥じた。
どんな試合でも出場するのが晴れ姿
そして、現地で試合を見ることが幸せだった。
3年も東京ブロックに行けなかった。
配信はあったけどさみしかった。大切な時間をなくした気がした。
それは出る選手も一緒だったと思う。

わちゃわちゃオンアイス・・・違うって・・・これは褒めているんだけど
6練中の選手紹介は「今までで一番焦ったこと」
紗千さんは「駐車場で別の車のそばに靴の入ったスーツケースを置いていたら、車が発進してスーツケースが引きずられて行ったので50m激走して追いかけて取り返した」みたいな・・・
命の次に大事な靴ですね。無事でよかった。車に引きずられたのがご本人でなくてよかった。

さて、現役生から、スタァ大島くん、3転倒でも絵になるのは明治に受け継がれる伝統。
正しく明治のというより東日本の切り込み隊長

脳内TESカウンターは始動しない。
こんなに楽しく見るのはいつ以来だろう?

紗千さんがリンクインする。
今期のFS「Without You」
配信ではSSDがすり切れるほど見た。
でも、スピンの入りのポジションとステップの踏み方がわからないところがそれぞれ1カ所。
もう見ることは叶わないと思ったのに、奇跡的に見ることができた。
今回は奇跡の連続だった。
入場エントリーも私の手は、何かに導かれるように勝手に動いた。
プレゼントBOXあるって・・・頭に浮かんだ贈り物、お店に電話してみた。
「長らく欠品でしたが一昨日入荷しました。」
その夜、仕事帰りに飛んでいった。
写真撮影タイム?持って行くなら一眼だ〜〜重いのなんか気にならない。
新幹線、宿泊、全てがきっちりとそろっていく。
最後の最後にミラクルも起きた(家庭の事情です)。
そして、私は、かつてラベンダーが咲いた東伏見に降り立った。

佐野先生のメッセージ
相変わらずだ。今日はGIFTに行ってたそう。
この人、昔、フリーだけは世界一になったんですよ。

まばたきするのが惜しい4分間、ノーミスで滑り終えた(細かいこと言わない)。
キレッキレの笑顔で滑ってくれた。スタンディングオベーションで答える。
声出し解禁だから、ありがとう〜って聞こえはしないだろうけど、お疲れ様〜

これほど琴線にくるスケーターに出会えた幸せは何年ぶりだろうか。

グループナンバーも出てくれた。
もっともっと、ずっと見ていたい。

写真撮影タイム
200mmを持って行っても遠かった。仕方ない。
IMG_1548 (1).jpeg

え?Farewell Runないの?
バックヤードから乱入してくるから関係者?まさか土足?そんなことないよね。
紗千さん人気者ですね。私もツーショット取りたかった〜

ちょっとだけでいいからお会いしたい。
バックヤードの入り口の階段の上で待つ。私が行けるのはここまで。
リンクは相変わらずわちゃわちゃ。。。
このわちゃわちゃは好きだ。
最後の最後までわちゃわちゃオンアイスは健在だ。

リンクから出るようにアナウンス。
紗千さんが帰ってきたので、周囲が「何だこのオヤジは」と思われてもいい。
呼んでみた。気づいてくれた。メガネを掛けている私ではわかってくれないと思い、外したらわかってくれたみたい。
1ショットお願いしました(非公開です笑)

さよならは言いたくない。
「またね〜」これが精一杯。もうお会いすることはないだろうけど、さよならなんて言いたくない。
「また・・」って返してくれた。うれしかった。素直にうれしかった。
「元気でね〜〜」って。

幸せをもらった6シーズンは終わった。
大きいか小さいかを別にして怪我も不調もあったと思う。
無事に引退してくれて、しかもこんな晴れ姿を見せてくれた。
紗千さんありがとう。ほっこりとあたたかい(わちゃわちゃ)エキシでした。

会場を出る前にリンクを振り返り、あの日咲いたラベンダーを思い出して、まぶたが熱くなった。
花は散らない。彼女がくれた心の花は散らない。
泣かない。
こんなところで泣いていいのは織田くんだけだ。

さあ、今年の秋には東京ブロックに参戦する。これからも東京と東日本のみんなを応援し続けるんだ。
あれ?私も観戦を引退する気だったのに(確か4回目)・・・引退詐欺なんて何度引っかかってもうれしい詐欺ですよね。私、詐欺師でいいです笑

運営のみなさん、お疲れ様でした。また参戦したいですね。
このわちゃわちゃ感は守って頂きたい伝統。

何度でも言いたい。
この、わちゃわちゃ感は
好きだ

(とりあえず終わり)


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明治法政オンアイス2023観戦記 その2・・・まだやる気だ [フィギュアスケート]

春はお別れの季節・・・って誰が決めたんだ?
この国は、年末年始とかいって線を引っ張らないと生きて行けないのか?
私は、スケオタ歴がもうすぐ46周年だが花粉症歴も39周年だ。
お別れと花粉症がやってくる春は嫌いだ。

さて、GIFTのグレイテストな裏番組、明治法政オンアイス。
今日はゆづる晴れと書いたが、私にとっては紗千晴れだ。
幸せな引退エキシのために東京の空は雲ひとつない快晴。
なんなんだこの運営の手作り感というか、わちゃわちゃ感。
今年は貢ぎ物ボックスあるとのことで、早めに貢ぎ物を・・・この段ボール箱の大きさのバラバラ感は何を基準に?
想定される人気度?いやちがう、絶対違う。テキトーにあるもので作った間に合わせ感。
学生の運営らしくて好きだ!このわちゃわちゃ感がとてつもなく好きだ・・・
名前がひらがなで書いてあるけど、よく目をこらさないとわからない。
次回はせめて太いマジックで書いてください。差し入れしてもいいです笑→明治の主務さん

前夜に配信で見た早稲田オンアイスの洗練された運営とは違う。洗練もいいけど、このわちゃわちゃ感のおかげで、脳内TESカウンターが始動することはなかった。
早稲田オンアイスにはOBの永井優香さんが出るとのことで、友人たちから「行かないの?」と言われたが2DAYSは無理だった。
どちらか選べと言われたら元カノより今カノ・・・いやちがう、元推しより今推しだ。

エキシで6練があるのって、昔からなんでしょうか?
9人もいたら怖いと思うんですけど、クァド持ってるのが6人よりは怖くないか。
紗千さん、元気そうで、楽しそうでよかったな。
ラストダンスを楽しませてもらいます。
(眠いので明日・・・)


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明治法政オンアイス2023観戦記 その1・・・かな [フィギュアスケート]

2年も放置していたのでもう見てる人はいないかも知れませんが、自分用に投稿します。
明治法政オンアイスに参戦してきました。
年初に6シーズン応援していた松下紗千さんから明治法政オンアイスに出演することは伺っていました。
しかし。。。この時期は世界選手権まで週末が埋まる怒濤の3月になることはわかっていたので参戦は難しいと思っていました。
国体が最後の試合になるなら、1日だけ応援に行こうと思っていました。
八戸国体のショートにするかフリーにするかも相当悩みましたが、ショートに参戦しました。
でも国体から帰っての気持ちは、「ショート通過を信じてあげなかった私を許して」、「フリーを滑らせてあげたかった」でした。
東京ブロックの現地へは3年連続の無観客。2019年以来現地で見ていない。
配信はありましたが、映像ではわからないステップの踏み方、スピンの入りのポジションなど。
そんなこんなでもやはり明治法政オンアイスへの参戦は二の足を踏んでいました。
入場エントリーの時間が近づいて、時間になったら手が・・・何かに引き寄せられるようにエントリーして整理番号のメールが来ていました。
もうこうなったら殺人スケジュールもなんのその。行けない理由を考えるより行く方法を組み立てることにしました。
20時終了ならギリギリ帰宅できないことはない。しかし、その日は東京ドームでGIFTがあって、最終のはやぶさに乗ることはもうできなくなっていて・・・
それなら都心に宿泊して翌朝の新幹線で定時出勤は可能。
ならばと宿泊先を探したら、ありました。秋葉原電気街口のアパホテル。秋葉原なら裏通りの隅々まで知ってるし、20分あれば新幹線に乗れる。
しかも、全国旅行支援で5200円!!
よし!外堀は埋まった。
後悔したくない。フリーを滑ってくれる保証はないけど、彼女の最後の滑りを見届けたい。
そこには、43年前のある悔やみきれない後悔があったから。
私の初代推しスケーターが仙台でレイクプラシッドオリンピックの壮行エキシビジョンを行ったのは1980年1月のこと。当時、中学生だった私には5500円のチケットは天文学的値段でした。
それから・・・一度も滑る姿を見ることは叶わない。時々テレビに出たりしてますけど・・・
今度は後悔しない。
現地へ行くまでは、いろいろ家庭の事情もあり、断念しかけたこともありました。
でも万難排して、はやぶさに乗り込みました。
周囲には明らかにギフト族が一杯。私のカバンに付いてる2018年のパレードのリストバンドをチラチラ見てる人が数人。
私はギフト族じゃない!!(族かよ・・・)
東京に着けば、風は強いながらもやはり天晴れなゆづる晴れ。
実に3年半ぶりの東伏見に感無量。
IMG_0924.jpeg
IMG_0926.jpeg
紗千さんは、フリーを滑ってくれるとのこと。
Without You 直訳すれば「あなたなしでは・・・」
紗千さんなしに私の6シーズンはなかった。2016年東京ブロック、「ラベンダーの咲く庭で」見つけた才能。指先から星が流れるような右手、上半身の使い方が上手で、小柄なのにリンク上では大きく見える。IJSの下ではトップクラスに行くには高難度ジャンプを跳びまくるしかない。でもそれだけじゃない世界を彼女は魅せてくれる。
全日本でコールされる姿を見たい、と夢を勝手に託した。それはかなうことはなかった。
でも、もう一つの夢、それは叶った。
卒業の日がくることはわかっていた。ならば無事に引退してほしい。怪我や家庭の事情などでひっそりと消えてしまう選手は多い世界。有観客のエキシで引退なんて最高に幸せな引退。
もっと、ずっと見ていたかった。でも、新たな世界に旅立つ彼女を見送ることができた。夢はかなった。
今日はレベルもGOEも回転不足もない。
いつもはエキシでも脳内TESカウンターが始動してしまうけど、今日は、今日だけはカウンターも始動させずに万感の想いをもって思い切り楽しもう。
共にブロック参戦していた友人たちとも3年ぶりの再会。
「泣かないでよ」と口々に言われる。
こんなところで泣いていいのは織田くんだけだ〜
そして・・・開演のベルは鳴る(つづきは明日・・・)
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東京ブロック2019参戦記 [フィギュアスケート]

さて、今年も恒例通り東京ブロックに参戦してきました。
思えば、今年で東京ブロック参戦も干支が1回転してしまいました。
2008年神宮で開催された東京ブロックに章枝さんが出るということで初参戦。
表彰台の真ん中に章枝さんがいて、2位が中野さん、3位が武田奈也さん。
豪華な表彰台でした。
その3人も今年はといえば、章枝さんは社交ダンスと2足(もっとか?)のわらじ、中野さんはジャッジ席に、奈也さんはコーチとしてリンクサイドに。
昨年、ついに太田由紀奈さんと奈也さんがリンクサイドへ。
今年は今井遥さんもコーチ業となり、3人リンクサイドにそろったら試合そっちのけになりそう・・・
そろうことは無かったけど、トリノ、バンクーバー世代がこうして活躍してくれることはスケオタ冥利につきる。
奈也さんはとっても凜々しく、遥さんはクールでかっこいい!!ゆきなはんも右手だけで絵になる。

今回の参戦では、21日に移動して翌日から参戦のスケジュールを組みましたが、初日はなんともアクシデンタル。
朝、家を出る直前に腰がピキっ!!!慌ててコルセットを巻いて出陣。
出る選手も大なり小なりどこか痛めてる。私も負けられない。
しかし、台風をにらみながらの上に、このアクシデント。

横浜まで足をのばし、都内へ戻る。
今回の宿泊は目白。
アクシデントはまだ続く。
ホテルの部屋の椅子に左足の小指を2回ぶつけて腫れ上がる。
ホテルの隣にマツキヨがあるという幸運。
翌朝、腰の痛みも残っているし、小指も痛い、でも推しへの愛が勝った(笑)。
早めに東伏見へ移動。

東京でのというか現役での推しメンは、永井優香さんと松下紗千さん。

永井さんは、ジュニアの頃の東京でなんじゃこりゃ級のデカいルッツに度肝を抜かれて落ちた。
松下さんは2年前の東京でこの右手は何?と・・・
振り付けがゆきなはんということで、納得はしたものの、衝撃が走った。
ゆきなはんは、右手を動かすだけで絵になるスケーターだった。
怪我が無ければ歴史が変わったはず。
そして、今、コーチとコリオグラファーとしてリンクサイドにいる。
多数の振り付けを行っているが、「物言う右手」を体現できるスケーターは松下さんのほかにはひとりしか知らない。

今年は東京の東日本枠は実質で14枠。
永井さんはアクシデントがなければ通過できるが、松下さんは果たして・・・

結果を見れば、永井さんが東京ブロックのシニア初優勝。意外と思いますが初優勝なんですね。
SPとFSをそろえての完全優勝。
FSの曲はアディオスノニーノ。
この曲は私のトラウマ曲でもある。
冒頭の3ルッツがすっぽ抜けた時には、ああまた勝てないのか・・・と不安がよぎった。
でも、今年の永井さんは強かった。
ジュニア時代は樋口新葉さんとふたりで違う世界に行ってしまっていた。
あの日を越えて、おそらくは今季を含めて2シーズン。
全日本で輝く姿をまた見たい。

松下さんは、SPでスピンがほどけた時はドキッとしましたが、順位はどうあれまずまず。
FSでは細かいところはいろいろありますが、転倒も無く、スピンがほどけることも無く。
あと3点は惜しかった。
でも彼女の右手は美しかった。
今季を含めてあと4回、全日本でコールされる姿を一度は見たい。

今回は松下さんに貢ぎ物を用意して、会えたら・・・と思っていました。
SPが終わって、ジュニア男子は断念して帰ろうかと移動開始したら、シニア女子がドローを終えて上がってくる・・・
滅多にこんなことしないんですけど、かなりドキドキしながら待ってみたら、上がって来られたのでお声がけできました。
おかげさまで腰痛が(翌朝まで)吹っ飛び、ホテルに帰ってから、あれ?腰痛かったのに・・・
かなりの脳内麻薬が分泌されたようです。
紗千さん、ありがとう!!

結果にはみんな悲喜こもごも、今年がラストシーズンの方もいて、また今年も見送ることになる。
引退後の人生に幸荒れと願う。

帰宅時は台風の障害もなく。
現地でお会いした皆様
お疲れ様でした。

次回の参戦は代々木での全日本となります(チケットはもちろんゲットします。)
全日本は出る人はもとより、見る人にも特別な舞台。どちらも激戦を勝ち抜かなければ会場へ行くことができないのはいっしょ。
皆様、代々木で今年最高のドラマを見に行きましょう!!

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NHK杯 第40回記念大会によせて [フィギュアスケート]

見てる人がまだいるかどうかわかりませんが。。。
久々の投稿になります。

さて、明日から広島市において、第40回NHK杯国際フィギュアスケートが開催されます。
残念ながら、全日本も大阪開催とのことで、参戦は断念しました。
広島は高校の修学旅行で訪れて以来で楽しみにしておりましたが、仕方ないことです。お好み焼き、あなご飯、もみまん・・・

ということで、40回目の大会となりますが、思い出されるのは第1回大会。
1979年、世はレイクプラシッドオリンピックシーズン。
13インチのテレビにかじりついて見ていたことを思い出します。
女子シングル優勝者は渡部絵美さん。
フリーの曲は、平部やよいさん作曲のオリジナル、クリスタルファンタジー。
今でも脳内再生できる旋律、演技のすべて。
3Sを転倒したときはヒヤッとしましたが、長い間ISUジャッジセミナーでお手本とされた2Aを決めての優勝に気持ちが高ぶったものでした。

第1回の優勝トロフィー、要するにNHK杯は今と違ってクリスタル硝子の大きな皿状のものでした。

いろいろなドラマもありましたが、ここまで歴史が続いたことに何よりの感謝の気持ちです。
私は過去5回参戦しましたが、思い出深いのはなんといっても仙台で開催された2007年29回大会。
現在はコーチ業をされている武田奈也さんのGPシリーズ最初で最後の表彰台。
そして、利府町で開催された2012大会。
こんなのあり?と思うほどの豪華アサイン。

記念大会なら第1回優勝者をロイヤルボックスにと思いますが、なかなか難しいようなのが残念。
今年もきっとすばらしい、そして楽しい大会になることをお祈りします。
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今井遥選手 引退によせて [フィギュアスケート]

 春の気配は気まぐれで油断すると寒くなる。
 春にどれだけの別れがあるのか。
 今年ももうすぐ春がやってくる。

 2007年11月の仙台市体育館で開催された全日本ジュニア女子FS。
 第3グループの6分間練習でひとりの少女に私は注目した。
 「今にも泣きそうな顔して大丈夫?」
 しかし、演技が始まった瞬間に彼女の左手にキラリと光る才能を見た。
 演技が進むと彼女の左手の指先からはまるで花びらがひらひらと湧き出るのが見えるようだった。
 もう一つの才能を見たのは、ループに入るスピード。
 こんな高速進入していくループを見たことはなかった。世界を見渡せばそんな才能もいると思うのだが、今、目の前に才能を見た。
 その翌年、彼女はJGPで初優勝、そして全日本ジュニアを制覇した。
 彼女の名は今井遥さん。
 当時、14歳の中学生。

 さて、今年も新潟でBSNスケートフェスティバルが開催されるとのことで、遥ちゃんが出演するのは当然として、子供たちのスケート教室のセンセーは村上佳菜子さん。最近テレビで有名です。
 昨年は引退の噂もあり、結局引退詐欺にあったわけですが(笑)、そんな詐欺なら喜んで何度でも引っかかってやりたい。
 どうしようかと思いながらも、インスタその他で情報を総合すると、これで引退の可能性が大きく、万難排して行ってきました。
 仙台から新潟は遠い。
 直線距離なら大したことはないのだが、新幹線だと料金は片道で東京往復並み、時間も東京往復よりもかかる。
 高速バスが選択肢となりますが、暴風警報の中で雪の心配もあり、結局バスでの往路となりました。
 金曜日の夕方、仕事を抜けて途中暴風はありましたが、定刻で到着。
 雪無いじゃん。。。冬靴履いていった私です。

 翌朝、カーテンを開けると、窓越しでもわかるほどの素晴らしい青空。
 朝食を終えて外に出ると、どこまでも青い空。
 
 暴風が空気中のちりをすべて消し去って、遥ちゃんの新たな門出を祝う、これはまさしく天晴れな「遥晴れ」。

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 昨日の暴風は、この空のためにあったのか。
 お天気の神様も粋な計らいするじゃありませんか。
 
 アサヒアレックスアイスアリーナに着くと、大行列が。。。
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 会場に入ればスタンド最後部に巨大バナーが掲示。
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 新潟県連、新潟市、関係者のみなさんありがとう。
 
 新潟市長のご挨拶でエキシビションは始まりました。
 昨年は市長の挨拶で「平昌オリンピックではロシアのキャンプを誘致したい」とおっしゃっておりましたが、多少の曲折はあったと思いますが、しっかり実現して金メダルと銀メダルを後押ししてくれました。
 職員の皆様もがんばったと思います。
 今年のご挨拶では「北京では新潟から代表を」とのお言葉。
 実現してほしいと思います。
 公営リンクを建設して、一線級の選手を誘致し、一国の代表キャンプまで誘致した。実際住んでいる人たちはどう思っているかは知りませんが、一票入れてあげられないのが残念です。こういうところに税金を払いたい。

 さて、エキシビションでは新潟の地元スケーターが終わって、遥ちゃんの最後の滑り。
 曲はサラ・オレインのBring The Snow
 白い衣装で滑る彼女は美しかった。
 全日本の表彰台に立つことは、あと一歩で届かなかった。
 世界選手権の代表に選ばれることもなかった。
 最近は怪我と病気にも悩まされた。
 「死ぬのは怖くないけど、全日本に出られないのは怖い」
 これは「白鳥は順位を気にしない」に匹敵する名言。
 
 初めて見てから10年の月日が流れ、様々な思いが交錯して涙がホロリ・・・
 ほとんどのフィギュアスケーターが連盟への引退届1枚で引退していく中で、たくさんの人に見送られて引退できるのは幸せな引退。
 関係者のみなさん、本当にありがとう。

 今後は新潟への恩返しとして、新潟で後進の指導に当たるという噂もあります。
 あの高速ループを受け継ぐスケーターが日本代表になる日が来たら、それは楽しみだ。

 さみしさと最後の滑りを見届けた満足感でお腹が空きました。
 のどぐろの握りでお腹を満たし、帰途につきました。

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IMG_6984.jpg
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