今井遥選手 引退によせて [フィギュアスケート]
春の気配は気まぐれで油断すると寒くなる。
春にどれだけの別れがあるのか。
今年ももうすぐ春がやってくる。
2007年11月の仙台市体育館で開催された全日本ジュニア女子FS。
第3グループの6分間練習でひとりの少女に私は注目した。
「今にも泣きそうな顔して大丈夫?」
しかし、演技が始まった瞬間に彼女の左手にキラリと光る才能を見た。
演技が進むと彼女の左手の指先からはまるで花びらがひらひらと湧き出るのが見えるようだった。
もう一つの才能を見たのは、ループに入るスピード。
こんな高速進入していくループを見たことはなかった。世界を見渡せばそんな才能もいると思うのだが、今、目の前に才能を見た。
その翌年、彼女はJGPで初優勝、そして全日本ジュニアを制覇した。
彼女の名は今井遥さん。
当時、14歳の中学生。
さて、今年も新潟でBSNスケートフェスティバルが開催されるとのことで、遥ちゃんが出演するのは当然として、子供たちのスケート教室のセンセーは村上佳菜子さん。最近テレビで有名です。
昨年は引退の噂もあり、結局引退詐欺にあったわけですが(笑)、そんな詐欺なら喜んで何度でも引っかかってやりたい。
どうしようかと思いながらも、インスタその他で情報を総合すると、これで引退の可能性が大きく、万難排して行ってきました。
仙台から新潟は遠い。
直線距離なら大したことはないのだが、新幹線だと料金は片道で東京往復並み、時間も東京往復よりもかかる。
高速バスが選択肢となりますが、暴風警報の中で雪の心配もあり、結局バスでの往路となりました。
金曜日の夕方、仕事を抜けて途中暴風はありましたが、定刻で到着。
雪無いじゃん。。。冬靴履いていった私です。
翌朝、カーテンを開けると、窓越しでもわかるほどの素晴らしい青空。
朝食を終えて外に出ると、どこまでも青い空。
暴風が空気中のちりをすべて消し去って、遥ちゃんの新たな門出を祝う、これはまさしく天晴れな「遥晴れ」。
昨日の暴風は、この空のためにあったのか。
お天気の神様も粋な計らいするじゃありませんか。
アサヒアレックスアイスアリーナに着くと、大行列が。。。
会場に入ればスタンド最後部に巨大バナーが掲示。
新潟県連、新潟市、関係者のみなさんありがとう。
新潟市長のご挨拶でエキシビションは始まりました。
昨年は市長の挨拶で「平昌オリンピックではロシアのキャンプを誘致したい」とおっしゃっておりましたが、多少の曲折はあったと思いますが、しっかり実現して金メダルと銀メダルを後押ししてくれました。
職員の皆様もがんばったと思います。
今年のご挨拶では「北京では新潟から代表を」とのお言葉。
実現してほしいと思います。
公営リンクを建設して、一線級の選手を誘致し、一国の代表キャンプまで誘致した。実際住んでいる人たちはどう思っているかは知りませんが、一票入れてあげられないのが残念です。こういうところに税金を払いたい。
さて、エキシビションでは新潟の地元スケーターが終わって、遥ちゃんの最後の滑り。
曲はサラ・オレインのBring The Snow
白い衣装で滑る彼女は美しかった。
全日本の表彰台に立つことは、あと一歩で届かなかった。
世界選手権の代表に選ばれることもなかった。
最近は怪我と病気にも悩まされた。
「死ぬのは怖くないけど、全日本に出られないのは怖い」
これは「白鳥は順位を気にしない」に匹敵する名言。
初めて見てから10年の月日が流れ、様々な思いが交錯して涙がホロリ・・・
ほとんどのフィギュアスケーターが連盟への引退届1枚で引退していく中で、たくさんの人に見送られて引退できるのは幸せな引退。
関係者のみなさん、本当にありがとう。
今後は新潟への恩返しとして、新潟で後進の指導に当たるという噂もあります。
あの高速ループを受け継ぐスケーターが日本代表になる日が来たら、それは楽しみだ。
さみしさと最後の滑りを見届けた満足感でお腹が空きました。
のどぐろの握りでお腹を満たし、帰途につきました。
春にどれだけの別れがあるのか。
今年ももうすぐ春がやってくる。
2007年11月の仙台市体育館で開催された全日本ジュニア女子FS。
第3グループの6分間練習でひとりの少女に私は注目した。
「今にも泣きそうな顔して大丈夫?」
しかし、演技が始まった瞬間に彼女の左手にキラリと光る才能を見た。
演技が進むと彼女の左手の指先からはまるで花びらがひらひらと湧き出るのが見えるようだった。
もう一つの才能を見たのは、ループに入るスピード。
こんな高速進入していくループを見たことはなかった。世界を見渡せばそんな才能もいると思うのだが、今、目の前に才能を見た。
その翌年、彼女はJGPで初優勝、そして全日本ジュニアを制覇した。
彼女の名は今井遥さん。
当時、14歳の中学生。
さて、今年も新潟でBSNスケートフェスティバルが開催されるとのことで、遥ちゃんが出演するのは当然として、子供たちのスケート教室のセンセーは村上佳菜子さん。最近テレビで有名です。
昨年は引退の噂もあり、結局引退詐欺にあったわけですが(笑)、そんな詐欺なら喜んで何度でも引っかかってやりたい。
どうしようかと思いながらも、インスタその他で情報を総合すると、これで引退の可能性が大きく、万難排して行ってきました。
仙台から新潟は遠い。
直線距離なら大したことはないのだが、新幹線だと料金は片道で東京往復並み、時間も東京往復よりもかかる。
高速バスが選択肢となりますが、暴風警報の中で雪の心配もあり、結局バスでの往路となりました。
金曜日の夕方、仕事を抜けて途中暴風はありましたが、定刻で到着。
雪無いじゃん。。。冬靴履いていった私です。
翌朝、カーテンを開けると、窓越しでもわかるほどの素晴らしい青空。
朝食を終えて外に出ると、どこまでも青い空。
暴風が空気中のちりをすべて消し去って、遥ちゃんの新たな門出を祝う、これはまさしく天晴れな「遥晴れ」。
昨日の暴風は、この空のためにあったのか。
お天気の神様も粋な計らいするじゃありませんか。
アサヒアレックスアイスアリーナに着くと、大行列が。。。
会場に入ればスタンド最後部に巨大バナーが掲示。
新潟県連、新潟市、関係者のみなさんありがとう。
新潟市長のご挨拶でエキシビションは始まりました。
昨年は市長の挨拶で「平昌オリンピックではロシアのキャンプを誘致したい」とおっしゃっておりましたが、多少の曲折はあったと思いますが、しっかり実現して金メダルと銀メダルを後押ししてくれました。
職員の皆様もがんばったと思います。
今年のご挨拶では「北京では新潟から代表を」とのお言葉。
実現してほしいと思います。
公営リンクを建設して、一線級の選手を誘致し、一国の代表キャンプまで誘致した。実際住んでいる人たちはどう思っているかは知りませんが、一票入れてあげられないのが残念です。こういうところに税金を払いたい。
さて、エキシビションでは新潟の地元スケーターが終わって、遥ちゃんの最後の滑り。
曲はサラ・オレインのBring The Snow
白い衣装で滑る彼女は美しかった。
全日本の表彰台に立つことは、あと一歩で届かなかった。
世界選手権の代表に選ばれることもなかった。
最近は怪我と病気にも悩まされた。
「死ぬのは怖くないけど、全日本に出られないのは怖い」
これは「白鳥は順位を気にしない」に匹敵する名言。
初めて見てから10年の月日が流れ、様々な思いが交錯して涙がホロリ・・・
ほとんどのフィギュアスケーターが連盟への引退届1枚で引退していく中で、たくさんの人に見送られて引退できるのは幸せな引退。
関係者のみなさん、本当にありがとう。
今後は新潟への恩返しとして、新潟で後進の指導に当たるという噂もあります。
あの高速ループを受け継ぐスケーターが日本代表になる日が来たら、それは楽しみだ。
さみしさと最後の滑りを見届けた満足感でお腹が空きました。
のどぐろの握りでお腹を満たし、帰途につきました。