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村主章枝、引退によせて [村主章枝]

「村主章枝 世界女王に」

と書くのが私の夢でした・・・

夢は今日終わりました。

さて〜、フィギュアスケーター村主章枝が今日、引退会見を行いました。
これで4度目の引退騒動(?)ですが、今度は本当でした。
岸記念体育館で引退会見を設定してくださった関係者に感謝。

思えば、村主章枝というフィギュアスケーターを知ったのは、18年近く前のことになります。
「こんな高いルッツを跳ぶ女子が日本にいたのか?」
これが第一印象でした。

その頃は、テレビ放送も少なく、情報も無い中でテレビでも雑誌でもなんとも読みにくい名前だと思いながらも、名前を見るたびにいつか生で滑る姿を見たいと思いました。

1997年全日本、転倒で長野オリンピック出場が叶わなかった時には、開催国枠ないの?と思ったものです。

2002年ソルトレイクシティ、総合5位ながらもエキシビションに出場。

世界女王にはとうとう届かなかったものの、世界選手権で2002年、2003年連続銅メダル、そして日本人初のグランプリファイナル優勝、四大陸選手権3回優勝、2004年四大陸での恩田さんとの一騎討ち。

私が念願叶って、彼女が滑る姿を生で見ることができたのは、2005年5月5日プリンスアイスワールド横浜凱旋公演の千秋楽でした。
あの日のアダージョとキダムは永遠の記憶に留められるものです。

トリノオリンピックシーズン、股関節の故障で果たして?と思いましたが、もしかしたら国内で競技を見られるのは最後かも知れないと思い、全日本選手権観戦に行きました。
5度目の日本一、オリンピック出場。
メダルには届かなかったけれど、フミエワールドはトリノの地に花が咲いた。

カルガリーの世界選手権、あと一歩で世界女王には手が届かなかった。

2006年全日本。東京の世界選手権で村主章枝の世界一を見る夢はかなわなかった。

スポンサーには恵まれたとは言えないスケート人生。
でも、村主章枝はフィギュアスケートの世界でパイオニアであり続けた。
パンツルックの衣装、ボーカル入りの曲、時代が追いついた。

思い出は、書き切れないほどありますが、次のチャプターはコリオグラファーの道にローリーの下で進むとのこと。
これは願ってもない理想のセカンドキャリアだと思います。

この場ではありますが、

村主章枝さんへ

長い競技生活、本当にお疲れ様でした。
フィギュアスケーター村主章枝は、競技を引退しても、私の永遠のナンバーワンスケーターです。
いつの日か、競技会場のスクリーンに”Coreographer  Fumie Suguri”と映し出される日を楽しみにしています。
あなたのファンでいられたことは、私の幸せです。


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