SSブログ

想い出のスケーター(佐野稔編) [フィギュアスケート]

日本人初のフィギュアスケート世界選手権でのメダリストとなった佐野稔さんについて
今回は書きたいと思います。
1977年東京で開催された世界選手権で佐野さんはフリーで1位となって銅メダルを
獲得しました。
確か優勝者は東ドイツのヤン・ホフマン(訂正:旧ソ連のウラジミール・コバリョフ
でした。お詫びして訂正します)だったと思います。
前回の渡部絵美さんのところでも書きましたが、当時はいわゆる共産圏が強かった
時代です。
そのときはフリーが行われたのは確か土曜日で夜のニュースで見たような気がしています。
トリプルルッツを鮮やかに決めた瞬間しかおぼえていないのですが、翌日の新聞には
コーチのコメントや当人のコメントが掲載されていました。
「最高の舞台であれだけの演技をした稔は本当にえらい」と都筑(?記憶は定かでは
ないです)コーチが泣きながらのコメントとかがありました。
その数日後に佐野さんがプロ転向かという記事があり、アイスショーの存在を知ること
となったわけです。
そして翌年プリンスアイスワールドの前身となるビバ!アイスワールドが設立され
テレビでのショーで豪快なバックフリップを見た瞬間「いつの日かショーを見に行きたい」
と思うようになりました。
当時は品川のリンク(現在品川プリンスホテルの新館があるところ)で年に一度の公演で
私も小学生から中学生だったので見に行くことはかなわずでしたが、先日やっとショーに
参戦できて、佐野さんの功績をかみしめていました。
彼は今どうしてるのでしょうね?
次回はイギリスのロビン・カズンズについて書いてみたいと思います。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

みなとみらい一景横浜・元町 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。